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形見の万年筆
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 母の遺品の万年筆が、半年近くかかった修理から戻って来た。

 元々は父が購入して愛用していたものだが、父が別のモンブランを入手した際に母に譲ったものと記憶している。遺品整理を一手に引き受けてくれている兄の好意でこの万年筆はオイラが貰い受けることになったが、残念なことに、オイラの手元に来た時には壊れて使用不能になってしまっていた。
 母が愛用していたのは覚えているものの、どの時点でどのようなことがあって壊れたのかは定かではない。なんと軸がペン先部分とインクボトル部分の2つに折れて分離してしまっていて、ペン先部分はキャップに入ったまま固着してしまっている状態。壊れたという表現よりは、完全に破壊されていると言うべき状態。

 何しろ母の遺品、つまりは「形見」ともいえるブツなので、「ダメもと」で修理依頼をしてみようと伊東屋に持ち込んで相談を開始したのが春のころ。
 伊東屋から日本国内のモンブランのサービスに問い合わせてもらったところ、案の定「部品が既に欠品で、修理不可能」とのこと。40年は経過してる万年筆だし、仕方ないような気もする。
 ところが、さすがのモンブランというか、万年筆というブツがそもそもそういうものなのか、「日本国内では修理不可能」ではあるものの「ドイツ本国に送れば修理可能」という回答。ただし、修理費用がいかほどになるのかは、現品確認の上で見積りをしてみないと分からないとのこと。そりゃそうだなと納得の回答。
 それなりに思い入れのある品だしと、修理見積りだけで幾ばくかの費用が発生してしまうのを覚悟して「ドイツ送り」をお願いすることにしたのが、梅雨のころ。
 しばらくしてドイツから見積りが届き、その金額で結構ですから修理してくださいとお願いしたのが、夏。
 そして待つこと数ヶ月。つい先日、伊東屋から「修理が完了して、帰って来ました」との知らせ。
 およそ半年をかけて、無事に修理完了。何の不具合もなく、使えるようになった。

 請求書には「ドイツ本社工房にてハンドクラフトリペアを行いました」てなことが書いてある。
 何でも、修理に必要な部品を新たに手仕事で作ったそうな。その種の手仕事に対応する工房、つまりは技術者と作業場所と材料が、本社内にちゃんと在るんだそうな。
 修理の完了した「形見」は、見違えるように輝いて新品のよう・・・ではなく、銀製のボディの輝きが復活してはいるものの、あちこちに残る傷はそのままだし、ペン先はもちろん「使い込んだ状態」のままのようだし、「修理したことが分からないような修理」に徹したようで、すこぶる気持ちがよい。

 「修理したことが分からないように修理する」というのは、もちろんそれなり以上の高い技術が必要なのだろうが、技術レベルが高いだけではなし得ないもの。
 価値観、意識、文化、はたまた哲学。あるいは、環境。それも、経済環境。そうそう、職人気質。さらにはプライド。あれこれ連想させてくれるが、とにかく「目先の現金」だけに奔走してるようでは決して実現できない「豊かさ」を感じてやまない。

 もちろん、「そこそこ高級な新品の万年筆」を入手できるほどの出費ではあったが、母のおかげで、そんな豊かさの一端を感じる機会を得られたのは、実に幸運。
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by kaz-105 | 2014-12-15 18:40 | ぽよよんな日々


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