ロストロポーヴィチ/人生の祭典
e0011321_20124438.jpg これまた夏を思わせるイイ天気のおかげか、実に久しぶりに映画館に出かけた。見てきたのは、今年4月27日に亡くなったと聞いてまたしても生を聞き損ねてしまったと残念でならないロストポーヴィチのドキュメント「ロストロポーヴィチ・人生の祭典」

 ふと気付くと、映画についてエントリーするのは初めてかも知れない。音楽や絵画と同じく、かなりの映画好きでもあるんだけど、何しろ楽しく鑑賞すること「だけ」に終始してしまって、何かしら文章を書き記すなんてほど知性的な楽しみ方はしてないんだろう。何か書きたいなとは思うものの、じゃ何を書くんだ?と筆を持つ手が止まってしまう。そういう状況なのにも関わらず、あえて映画ネタでエントリーしようと思い立たせてくれたのがこの映画。
 これ、ドキュメンタリーである。従って、いわゆる「物語」ではない。ということはつまり、起承転結な波瀾万丈奇想天外どっきりびっくり泣いた笑った面白かったってな娯楽性は極めて希薄。というか無いに等しい。従って、映画は娯楽、面白くてナンボという低次元なトコロで楽しんでいる身には、はっきり言って退屈に感じて見続けるのが辛かった。なもんで、正直なところ、途中で睡魔に負けた。延々と続く奥様へのインタビューシーンに耐えられなかった。
 にもかかわらず、見終わった後、なんとも言えない満足感を得ることが出来た。ロストロポーヴィチという「人間」もしくは「人生」に、ほんの少しとはいえ触れられたという満足感なんだろうと思う。彼は、ほんの少しとはいえその人生に触れるだけでも何ともいえない満足感を与えうるような人間だったんだろう。ソ連の体制批判に組したとか、そのせいで亡命したとか、世界市民として生き通したとか、チェロ演奏者としては今世紀最高と言われるとか、そのくせ権威ぶらずに分け隔てなくどこでも演奏したヒトだとか、諸々イロイロその人となりを思わせるネタがあるらしいけれど、そんなことちっとも知らなくても、ロストロポーヴィチの動いてるあの姿を見れば十分。ついに生の演奏を聴く機会を得ぬままなのが、ますます残念に思えてならない。
 blogなんてものは「羞恥プレイ」みたいなもんなので、調子に乗って低次元映画鑑賞のお恥ずかしいトコロを暴露すると、この映画で一番印象に残っているのはロストロポーヴィチってオラウータンみたいだなってコトだ。金婚式の豪華晩餐会で、彼が奥さんにキスしてるシーンが何度か出てくるんだけど、まんまオラウータンみたい。念のため書き添えると、もちろん最大限の褒め言葉のつもりである。実に、かわいい。
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by kaz-105 | 2007-05-23 20:55 | ぽよよんな日々 | Trackback | Comments(6)
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Commented by もにょにょふ at 2007-05-24 10:15 x
実は・・・
17年前にロストロポーヴィチ氏をオーチャードホールで
拝見(拝聴?)したことありやす。
(↑タダ券もらった)

残念ながらチェロの演奏ではなくナショナル交響楽団の指揮での来日でした。

お恥ずかしい話ですが
内容については全く記憶にありません
(多分スバラシかったのだと思いますが
いかんせん、受け手(=もの)のレベルが低いので・・・・苦笑)

ただ。

わたしも”まんまオラウータンみたい。”
ってな事を思っていたことは覚えています・・・・

ポービッチさま、
レベル低くてごめんなさい。(合掌)
Commented by とんきち at 2007-05-24 11:51 x
ナショナル交響楽団なら彼が長年常任指揮者(音楽監督だったかな?)を勤めた古巣のオーケストラ、子分たちなのできっと素晴らしい、楽しい、ノリノリの演奏だったと思いますよ。いいもの聴いたね。演目は二の次、気持ちよければそれでよし。覚えて無くてもきっともにょちゃんの細胞のどこかにすりこまれてるはず。

ウータンねた、
ウィーンのフェラインザールでのリハのシーン、
小澤さんとスラヴァ(ロストロポーヴィッチの愛称)の会話がまんまウータンでした。
英語もドイツ語も混ざっているのでしょうが、
うっ、うっ、うっ、つたたか、だっ、だだっだ、だだ〜〜〜ん、って、
どちらもギラギラと眼光鋭く見つめ合いながら奇声を発し合う姿はまさに「動物」でした。愛があったなぁ。鳥肌が立ちました。
Commented by VENICO at 2007-05-24 22:36 x
技巧だけを取ればロストロポーヴィッチを凌ぐチェリストは多くいると思います。今やカザルスの録音を聴くときそれは稚拙とすらおもえるほどです。しかし、ロストロポーヴィッチにしろカザルスにしろその音楽は私たちの心を打つ何かをもっています。なんら電子的補助機能を持たない古典的なアルファロメオに強く魅かれる僕たちは何かの共感をそれらの素朴な演奏に共感するのかもしれませんね。何回かロストロポーヴィッチを聴く機会に恵まれましたが僕は違う意味でもう少し共感できませんでした。なぜかはわかりません。芸術家の表現はそのときの空気とのマッチングもあるのでしょう。
Commented by kaz-105 at 2007-05-25 20:50
技巧の高さと表現の豊かさは必ずしもシンクロするものではないというのは、音楽に限らず芸術一般によくあることですね。同じように、工学分野においては、先進的な技術を盛り込むことと製品の出来の良さとは必ずしもシンクロしないし。
神が降臨したようなモノ、魔がさしたようなモノ。モノの部分を計量的な技で形作ったとしても、送り手・受け手にヒトが絡む以上は、神か魔物かイロイロと横やりが入ってしまうものなのでしょう。どっちもヒトの心に常駐してますからねぇ。とすれば、その横やりを楽しまずして何を楽しむ、と思うわけです。
その横やりについてまで何らかの計量的な解析を試みるなんてコトは、技術屋としての興味の対象にこそなれ、ヒトとしての喜びの糧を単調なレトルト食品にはしたくないと思うわけです。

にしても、ロストロポーヴィッチを幾度か聴く機会に恵まれたとは羨ましい。共感出来るか出来ないか、聴いてみなきゃ始まらない話を、ついに始めることが出来なくなってしまったわけですから。
Commented by orca at 2007-05-28 06:08 x
こんにちは。
ちなみに、「オランウータン」はインドネシア語です。
オラン=人、ウータン=森、です。
ここの森にはいないと思いますが。
Commented by kaz-105 at 2007-05-31 14:28
学生時代とか、時々動物園に見に行ってましたが、
敬意を込めて「森の哲人」と呼んでいました。
てな意味も込めて、褒めてるつもりなわけです。


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