<   2007年 05月 ( 26 )   > この月の画像一覧
八犬伝
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 帰省時の恒例に従い温泉に行くべくお散歩してると、道すがらに柴犬が8匹、積み上がっていた。
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 仁義礼智忠信孝悌、どの犬がいずれの玉を持ってるのかは知る由も無いが、それなりにイイ顔をしてるような気もする。してないような気もする。
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by kaz-105 | 2007-05-31 19:22 | ぽよよんな日々 | Trackback | Comments(1)
たぬきに注意
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 前々から走るたびに気になっていた。今回の帰省で意を決して撮影。
 四国の高速道路脇に掲げられている「動物注意」の標識である。タヌキが正面を向いてバンザイしてる(写真左)。
 この図案を見て、これはタヌキだと分からない人はほとんどいないとは思うのだが、タヌキの側から考えると、これでタヌキと判断できるってどういうことよ!?と言いたくなっても不思議ではない。例えば、動物園のタヌキを日がな一日眺めていても、こんな格好をすることも、こういう姿に見えることも無い。(化かしているのだから、そうやすやすとこういう姿は見せない、なんて説もありそうだが、その方面にはココでは触れない)
 ところが、夜間の運転中にタヌキと路上遭遇したことのあるヒトなら分かると思うが、「タヌキらしさ」を表現していると言えなくもない。彼らは迫り来る自動車のヘッドライトに照らされ、光源に目を奪われたままカチコーン!と固まってしまって動かなくなってしまう。道路の真ん中で、お手上げ状態になってしまうのである。
 そもそも夜行性なので夜間に遭遇することしか無いのであろうし、ライトに照らされるとかなりの確率で「固まって」しまうのであれば、余裕で歩いてる姿よりも、固まってる姿の方が、見る可能性の高い姿であって「分かりやすい図案」ということになるのであろうか。

 写真右の四つ足で歩いてるタヌキが、割とあちこちで見る標識。まぁ、標準仕様といったトコロか。岡山以東の山陽道、名神、東名などは、タヌキの図案としてはみなコレが掲げてある。
 多少「太め」の傾向があり、信楽タヌキの影響も無視できない気がするが、タヌキという動物の姿としては、コチラの方がわずかにリアリティが高いような気がする。・・・が、言わんとすることは分かっていただけると思うが、サインとしちゃいかにもインパクトが弱い。「バンザイ」の方を支持したくなってしまう。

 他に、二足歩行で走ってるタヌキが描かれた標識もあるのだが、これは道中に1枚しか無かったようで、惜しくも撮り損なってしまった。次回の帰省時にリベンジしたい。
 何しろ二足歩行である。「固まって」いるわけではなく、二足歩行ですたこら走っているのである。これは何を表現しているのか、理解に苦しむ。このあたりを考察する上でも、ぜひとも画像を入手せねばと思ってる。
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by kaz-105 | 2007-05-31 14:23 | ぽよよんな日々 | Trackback | Comments(0)
紫陽花の季節
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 先週末、帰省した際に実家の庭で。
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by kaz-105 | 2007-05-31 13:49 | ぽよよんな日々 | Trackback | Comments(0)
ロストロポーヴィチ/人生の祭典
e0011321_20124438.jpg これまた夏を思わせるイイ天気のおかげか、実に久しぶりに映画館に出かけた。見てきたのは、今年4月27日に亡くなったと聞いてまたしても生を聞き損ねてしまったと残念でならないロストポーヴィチのドキュメント「ロストロポーヴィチ・人生の祭典」

 ふと気付くと、映画についてエントリーするのは初めてかも知れない。音楽や絵画と同じく、かなりの映画好きでもあるんだけど、何しろ楽しく鑑賞すること「だけ」に終始してしまって、何かしら文章を書き記すなんてほど知性的な楽しみ方はしてないんだろう。何か書きたいなとは思うものの、じゃ何を書くんだ?と筆を持つ手が止まってしまう。そういう状況なのにも関わらず、あえて映画ネタでエントリーしようと思い立たせてくれたのがこの映画。
 これ、ドキュメンタリーである。従って、いわゆる「物語」ではない。ということはつまり、起承転結な波瀾万丈奇想天外どっきりびっくり泣いた笑った面白かったってな娯楽性は極めて希薄。というか無いに等しい。従って、映画は娯楽、面白くてナンボという低次元なトコロで楽しんでいる身には、はっきり言って退屈に感じて見続けるのが辛かった。なもんで、正直なところ、途中で睡魔に負けた。延々と続く奥様へのインタビューシーンに耐えられなかった。
 にもかかわらず、見終わった後、なんとも言えない満足感を得ることが出来た。ロストロポーヴィチという「人間」もしくは「人生」に、ほんの少しとはいえ触れられたという満足感なんだろうと思う。彼は、ほんの少しとはいえその人生に触れるだけでも何ともいえない満足感を与えうるような人間だったんだろう。ソ連の体制批判に組したとか、そのせいで亡命したとか、世界市民として生き通したとか、チェロ演奏者としては今世紀最高と言われるとか、そのくせ権威ぶらずに分け隔てなくどこでも演奏したヒトだとか、諸々イロイロその人となりを思わせるネタがあるらしいけれど、そんなことちっとも知らなくても、ロストロポーヴィチの動いてるあの姿を見れば十分。ついに生の演奏を聴く機会を得ぬままなのが、ますます残念に思えてならない。
 blogなんてものは「羞恥プレイ」みたいなもんなので、調子に乗って低次元映画鑑賞のお恥ずかしいトコロを暴露すると、この映画で一番印象に残っているのはロストロポーヴィチってオラウータンみたいだなってコトだ。金婚式の豪華晩餐会で、彼が奥さんにキスしてるシーンが何度か出てくるんだけど、まんまオラウータンみたい。念のため書き添えると、もちろん最大限の褒め言葉のつもりである。実に、かわいい。
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by kaz-105 | 2007-05-23 20:55 | ぽよよんな日々 | Trackback | Comments(6)
すでに、夏!
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 夏のような空が広がる渋谷の街。
 一方、我が屋上はというと、
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日差しがキツイものの、なんともイイ感じで、
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いろいろと「収穫」の期待が高まっています。
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by kaz-105 | 2007-05-23 19:36 | ぽよよんな日々 | Trackback | Comments(0)
街まちの猫たち
e0011321_174120100.jpg 終わってしまってる個展についてエントリーするのもナンですが・・・
 このところのイイ天気に誘われて、自転車をこぎこぎして青山までお散歩ついでに、宮脇檀建築研究室のご縁で友人になることが出来た方の個展に行ってきました。
 「根津りえガラス絵/街まちの猫たち」
 根津りえさんのHPはコチラ→根津りえ|RIE NEZU

 ガラス絵って他では見たことないんだけど、30cm角くらいの大きさの透明ガラスに絵の具で絵を描いて、裏返して額装してあります。
 普通の紙に描いた絵だと、額のガラス越しに紙にくっついてる絵の具を見てるわけで、ガラスと絵の具の間には「空間」があります。ガラス絵の場合は、額に入ったガラスに直接絵の具を塗ってあるわけで、ガラスと絵の具が密着してるわけです。そのせいかどうか分かりませんが、ガラス絵の「色」は、紙に描いてある絵の色よりずっとずっと鮮やかな印象を受けます。透過性のある絵の具で描いて裏から光を当ててるわけではないので、それ自体が輝いてるわけではないんですが、透明感のある色というか、澄んだ色というか、とにかく「ナマの色を見てる」感覚がします。
 そういう鮮やかで澄んだ色で描かれた世界の街と猫さんたちは、いかにも生き生きとしていて、異国の街の空気を伝えてくれます。

 個展が行われた画廊のHPはこちら→ピガ画廊
 1と2と、2つあるスペースのうちの、PIGA1で開催されてました。小さな小さなスペースですが、なんとも言えず落ち着く空気があるのは不思議です。
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by kaz-105 | 2007-05-23 18:52 | ぽよよんな日々 | Trackback | Comments(0)
本日、いい天気
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につき、
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屋上コーヒータイム。
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by kaz-105 | 2007-05-20 12:53 | ぽよよんな日々 | Trackback | Comments(5)
新鮮野菜
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 しばらく居候している友人の実家から、新鮮野菜がたんまり届いた。
 何よりの頂きモノ。
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by kaz-105 | 2007-05-17 07:56 | 本日の頂きモノ | Trackback | Comments(5)
鰹節にだし昆布
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 豆餅に続いては乾物である。
 日々の食卓を楽しく豊かにすることは、幸福な生活の最重要項目のひとつと信じて疑わないが、これに異論を唱えるヒトは多くはないはず。ところが、日々の食卓の楽しさ豊かさはナニをもって達成出来るのかという話になると、これがなかなか種々様々な意見が出てまとまらない話となる。美味しい・美味しくない、楽しい楽しくないなどは主観に基づく個人的なコトであるし、豊か・豊かでないとなると必要とする費用金額の多寡で判断しうるなんて単純な話でないのは明らか。という次第なので、これから食卓の豊かさについて書くのだが、それは全く個人的な話であると自覚している。が、しかし。他人にも共感してもらえるのではないかなぁと密かに思っているから書こうと思うのである。
 とまぁ大げさに過ぎる書き出しにしてしまったのは、あまりにも話が単純過ぎることへの照れかもしれない。書きたい話は極めて単純。食卓を豊かで楽しくするには、美味いものを並べること以上に強力なことはなく、食卓を美味くするのには肉だ魚だ野菜だという食材にこだわる以上に「出汁(ダシ)」に留意すべきである。以上。。。
 で、終わってしまうのもナンなので、少し蛇足を加えてみる。

 自らの経験として体感しているので自信を持って書くが、全く同じ材料・作り方であっても、出汁を変えるだけで驚くほど味は変わる。全く異なる食べ物になると言っても過言ではないほど、変わる。つまりは、出汁をちゃんとするだけで、何倍(何割ではない)か料理が上手になったような気になれる。
 ところが、こと和食の出汁となると、これを「ちゃんとする」のはなかなか手強いと感じるものだ。実際、手際良く上手に出汁を取ることが出来るのなら、それで十分に料理上手と言える。だもんだから、出汁を取る作業について出来るには出来るが上手という自信の無い向きには、遠慮を込めてソコソコの材料でソコソコの作業をすることが多い。上等な材料を使うなんてもったいないという気持ちもあるのだろうが、コレ、実はそういう考えで上等な材料を使わないことの方がもったいない。そのことを教えてくれたのは、京都・出町にある乾物の専門店「ふじや鰹節店」である。
 つまり。料理の腕前はたいしたことがなくとも、さらには味の違いを察知することに関してたいした「味覚」を持ち合わせていなくても、鰹節や出汁昆布を使い分けることで劇的に味が変わることを体感出来るのである。そこらのスーパーで売ってる鰹節や昆布を使う、あるいは「出汁の素」と称した粉を溶かすという方法に対して、おぼつかない手際ながらも「ふじや」さんの勧めてくれた鰹や昆布、あるいはジャコを使って出汁を取ると、本当に劇的に味が良くなるのである。思わず「美味い!」とうなってしまう吸い物が出来上がるのである。技術的にも可能で、味わう能力的にも可能で、後述するが必要となる費用もほぼ同じとなると、わざわざ「美味しい」ものを避けるというのは、いかにも「もったいない」ということになる。
 考えてみれば、これまた当たり前のことかも知れない。一流料亭だけを顧客にしてるわけではなく、庶民の食卓をも顧客として乾物を商ってきたわけだから、庶民レベルの乾物ノウハウを持っていてしかるべきである。曰く、普段使いの吸い物にはコレ、煮物だとコッチ、あらたまった時にはアレ、何種類も常備するのが面倒ならソレだけで、などなど。さらには、お使いもの(贈答品)にするのでなければ、見た目は悪いけどソレで十分と「切れ端」ばかりを集めたお買い得品を勧めてくれ、お勧め品には当然のように「その使い方ノウハウ」が付いてくる。そして、それらは、これまたプロである「ふじや」さんにしてみれば当然のことながら、実に的を得ていて確実に食卓がレベルアップするのである。

 写真左:鰹節2品。左は、普段の出汁用に求めたもの。ひとつで煮物にも吸い物にも使い回すとしたらコレがよろしいと勧めてくれたもの。右は、猫マンマ風に「ふりかけ」として楽しもうと求めた本鰹の削り節。店先でひとつまみ食べさせてもらったら、どうにも買わずにいられなくなった逸品。
 写真右:出汁昆布2品。左のぐしゃぐしゃの山になっているのが普段使い用に求めた出汁昆布。これは、「切れ端」というか「切り落とし」というか、綺麗な形の整った昆布を取った残りの端っこである。見た目がこうだから「贈答品」といったモノにはなりようもなく、従って破格に安い。が、味は原則として同じなので、自家用で普段に使うのならコレで十分と、庶民の家計を知り尽くしたお勧めである。
 対して、右下に少しだけ置いてある「整った形」の出汁昆布は、利尻昆布の中でも最良とされる「香深産」の昆布。5年くらいは保存出来るので、これはという時にだけ使って5年分という感じのとっておきにするつもり。

 ちなみに、切れ端と香深の価格差は、10倍をはるかに越える。しかし、切れ端とスーパーマーケット普及品との価格差はほとんど無い(というか、切れ端の方が安い)。もちろん、味や香りは劇的に違う。
 コンビニやスーパーは、利便性を高めてくれることで豊かな日常生活に貢献してくれているようだけど、利便性というしろもの、要注意だなぁと思うことしきり。スーパー普及品の出汁昆布と「ふじや」お勧めの切れ端出汁昆布は、ほぼ同じ価格だが、かたや他のものと同時に購入できる利便性を提供してくれ、かたや劇的に質の高い味を提供してくれる。おまけに、「出汁昆布」「鰹節」から広がる様々な「味」の世界を教えてくれる。あくまで個人的な意見だけど、こういう広がりが食卓の豊かさのひとつに思えてならないので、わざわざ京都・出町に足を運ぶことを止めるつもりはない。
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by kaz-105 | 2007-05-14 17:26 | ぽよよんな日々 | Trackback | Comments(2)
ふたばの豆餅
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 今さら説明するのもナンですが、京都・出町「ふたば」の豆餅。
 豆餅(2個)、草餅、福豆大福、水無月が並んでいます。もう、あまりの魅力に目眩を覚えそうです。

 ごく当たり前の普通の菓子なわけで、大騒ぎして有り難がるようなモノではありません。が、その当たり前の普通のモノが、当たり前ではなくなってしまうってのが今時の都会の貧しいトコロ。おまけに東の国では生活に関する常識が微妙に異なるので、西国からのお土産に期待するしかないという状況となります。「持つべきものは友人」のおかげで魅力的な食材を入手できる機会の多い我が家ですが、この種の「生菓子」というのは、鮮度が命というか日持ちしないのでごく近場でないと「お土産」にすることが出来ず、従ってお目にかれる機会が極めて少なくなってしまいます。
 というわけで、京都へ出かけた機会に自分で入手いたしました。渋谷での生活状況からすると、「憧れのふたば」です。
 重ねて言いますが、ごく当たり前の普通の菓子です。これが、日常の当たり前のはずなのです。

 参考までに・・・
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 写真左:お店の前には頻繁に人だかりが出来ます。タイミングを間違うと長蛇の列にもなります。
 写真中:店内ではたくさんの人がひたすら「餅」と格闘しています。ドスン!ドスン!と餅をつく音も響いてきます。
 写真左:無造作に積まれている「商品」と雑多な店先。この放ったらかしな雑然さがイイです。今時のご時世風に言えば、お菓子のお値段に「店装工事費」が含まれていない安心感とも言えます。しかし、積み上げてある「お餅」を、1段抱えて走って逃げたくなる魅力があるのです。
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by kaz-105 | 2007-05-14 14:18 | ぽよよんな日々 | Trackback | Comments(4)