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にわかにF1
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 ここ数年、風の便りにくらいしか接していなかったF1だが、どういう風の吹き回しだか昨年末くらいからまた少し興味が湧いて来ている。先週末に開催された開幕戦もしっかりテレビ観戦。記憶にあるチーム名が並ぶものの、車の風情やドライバーは全く様変わりしているし、レギュレーションまで変わってて、しっかり楽しむにはしばらくリハビリテーションが必要のようだ。
 そのF1熱再燃を助長しているのが、「かつてのビデオ」の発掘。本棚の奥深くに埋もれていた90年前後のF1中継の録画を引っぱり出して、思いつくままに再観戦している。これが、ことのほか面白い。かつてそうだったように、画面の中を走る20年近く前の車に向かって「行けぇ!マンセル!抜けぇ!」と叫んでしまう。
 今年のF1はシューマッハが引退して新旧交代の年らしいが、マンセルみたいに熱く楽しませてくれるドライバーは居るんだろうか?これからちょっとずつ学習して、楽しんでみようと思う。

 写真は、発掘ビデオの鑑賞の友としている当時の公式プログラム。右から87年鈴鹿、89年鈴鹿、90年アデレード。プログラムに挟んであったアデレード戦のパドックパスにはネルソン・ピケのサインが入っていたりする。
 今見ると、アデレード戦と鈴鹿戦のプログラムの作りがかなり違うのが興味深い。鈴鹿のプログラムは妙にマニアックで細かな数値データが山盛り。歴代ドライバーの戦績やら獲得ポイントやら、まるでF1データブックである。対してアデレードの方は、読み物が満載。1950年にF1が始まって500戦目に当たるとかで、その歴史の紹介を始めとして、やたら「文章+写真」であれやこれやと、まるで車雑誌の風情。
 プログラムを手にする観客の求めているものが異なるから、というのがお行儀の良い解釈なのだろうけど、それって、F1をはじめとしたモータースポーツというものに市民権が既にしっかりとあって社会に認知されている状況なのに対して、かたや「F1とはどういうものか?」というトコロから説明しなきゃいけない状況、つまりは読み手の認識はおろか、十分にモノを書ける書き手もそうは居なかったのだろうというふうにも思えてくる。そして、近年のF1中継を思うと、F1が日本で獲得した「市民権」とは、単なるバラエティ番組なんだよなぁと、哀しくもなってしまう。
by kaz-105 | 2007-03-20 13:36 | ぽよよんな日々


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